自分の信頼値を常に気にしながら生きていない人は、大丈夫なのだろうか?
自分の信頼値が今どのあたりに位置しているか、水準と比較して著しく低くないか、どうしたら高くできるか、なんてことを僕らは常に考える必要がある。
会社に所属していない人、ビジネスに関わっていない人はもしかしたら必須ではないかもしれないが、仕事をしている人が信頼値を意識していないのは異常だ。
ちなみにここでいう信頼値とは、クライアントからの信頼やユーザーからの信頼とは違い意味で使っている。
主には、会社の同期、上司、先輩、後輩、全般仲間からの信頼値だ。
さきに言っておくと、信頼値が高い == 存在しやすさである。さらにプログラム的に表現すると以下の感じ。
if 信頼値 > 平均: print('発言も、態度も、ある程度寛容に受け取られ、意見をポジティブに受け取られる') elif 信頼値 == 平均 or (平均 - 10) < 信頼値: print('ノーマル') else print('意見は常にネガティブに受け取られ、批判的になる。正しくても受け入れられないときもある')
簡単にいうと、仕事がしにくくなる。
信頼値が低い人がなぜそうなっているかというと、
- 遅刻多い
- 周りが見えていない行動
- 仕事ができない
- 論理的でない
といったことが原因としてあげられる。
上の要素持っている時点で、信頼値ってあげるの無理?って思った方は、もはやそれも信頼値がない原因です。
うえの要素はすべて努力でなんどかなる範囲。仕事ができないと漠然として、たとえ事実だとしても、死ぬほど努力しているやつなら、圧倒的に信頼値は高くなる。
という感じで、僕らは信頼値をあげることが可能だし、常に意識していないといけないし、それが結果的に良いアウトプットへつながる。
最近結果だしていないなーって思っているなら、土日を使って業務を自動化するプログラムでも、勉強会に行った共有でも、なんでもできることがある。
その行動をするかしないかが、信頼値が高い人と低い人の違いなのも事実なのだが。
一旦ここまで書いたが、このブログタイトルでこいつ何言ってんだって方も少なからずいるだろう。
これも良い例で、完全に冒頭から信頼値は底辺。
だが、ここまでコンテンツを読んでくれたということは、コンテンツにそれなりの力はあったことになる。ということはつまり、信頼値は見た目ではなく、中身から修正可能だということ。
つまり、努力でなんとかなるのが信頼値ってこと。
てわけで、いろいろ頑張りましょう。
ではでは。